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京都に『染司・よしおか』という、染め屋さんがあります。

当代はまだお若い女性なのですが。
そのお父様が、亡くなった先代の吉岡幸雄さんです。
もう何年も前に亡くなっていたそうなのですが。
私は先日、その訃報を知りました。

先代は、天然染料、とりわけ植物染料を使っての古典の色の再現に尽力された方です。

現代の我々はたくさんの色に囲まれて暮らしていますが。

古代、『色』はとても高価なものでした。

何故ならば、天然の植物や動物、時には昆虫や貝からも『抽出』『濃縮』した上で、対象物に『定着』させなければいけなかったから

『色』を纏うというのは、大量の材料を集め、手間をかけて抽出・濃縮し、染め付けるというとても高価な贅沢だったのです。

しかも。
天然染料は、そうやって手間暇かけても、たった一度の染めでは薄い色にしかなりません。

鮮やかな濃い色にするのは、何度も工程を繰り返す必要があって、さらに高価になります。

そういう『天然染料の当たり前』を、私はこの方の著書から教わりました。

先代は、古典の聖書とも言える『源氏物語』の再現をライフワークにされておられました。

古典では時折、貴人が衣装を下賜するという場面があります。
咄嗟の時などは、その時重ね着して着ていた衣装を下賜するのです

現代人ではありえませんよね?

なぜ、それが褒美になるのか。

『鮮やかな色の絹布の衣装』が、私たちの感覚に例えると『高価な宝石のはまった宝飾品』と同じ扱いなのだと思えば、感覚的に納得できませんか?

源氏物語の時代はもちろん。
江戸時代に入るまで、庶民は麻を着ていました。
絹などは、一般庶民は一生纏うどころか、手にすることもできないほどの高級品です。
その絹布に、さらに色染めをしてある。

貴人はそれを重ね着して、季節感を纏うというオシャレをするのです。

それが当時、どれほどの贅沢であったことか。

私はその贅沢さの実感を、吉岡さんの著書から学んだのです。

天然ゆえに、堅牢度が低いとか色落ちしたりとか、高価になったりとか。
天然染料の扱いにくい要素を排除するために、人工的な染料が開発され。

現代の私たちがカラフルな世界で、好きな色を纏って生活できているのは、人工的な染料のおかげです。

しかし、だからこそ、古典に出てくる『昔ながらの色の風景』がわからなくなってしまった。

源氏物語にもたくさんの色の描写が出てきます。
その本当の色味も、私は先代のライフワークから教わりました。

直接お話ししたことはありません。
でも、烏滸がましいことなのですが、心のどこかでずっと、そっと恩師のように思っている方でした。

遅ればせながらも、心からのご冥福をお祈りします、、、